平和を考える一日〜沖縄全戦没者追悼式〜

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平和を考える一日〜沖縄全戦没者追悼式〜

日 時:2013年6月23日(日) 9:00~15:00
教 室:平和祈念公園(沖縄県糸満市摩文仁)
先 生:仲間直樹 さん
定 員:10名

平和って当たりまえ?平和ってなんだろう?
みなさん、慰霊の日ってどう過ごしていますか?
戦争体験者が少なくなり、沖縄戦が少しずつ風化していく中で、慰霊の日も仕事だったり、忙しかったり、私たちは慰霊の日を意識することがだんだん少なくなってきました。今年の慰霊の日は日曜日にあたるので、この機会に沖縄全戦没者追悼式に参加し、私たちがどうやって戦争体験を継承していくべきか、考えてみませんか?

今回の教室は、平和祈念公園です。公園内にある平和祈念資料館や「平和の礎」は有名ですが、実は広大な公園には、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして摩文仁の丘の上には国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が50基建立されています。式典に参加するだけでなく、沖縄戦を多面的に捉えながら「平和」とは何か?を考える一日にしませんか。

授業では、先生である仲間直樹 さんが公園を案内しながら、沖縄戦を振り返ります。

<授業スケジュール>
9:00 集合・受付
9:30 平和祈念公園を散策しながら沖縄戦を振り返る
11:30 式典参加
13:00 式典終了
14:00 お弁当を食べながら共有
15:00 解散



※当日は追悼式典があるため、派手な色・柄、の洋服、サンダル等はご遠慮ください。
※歩きやすい服装、靴でお越し下さい。
※日傘、帽子、日焼け止め等日差し対策をお願いします。
※水筒、お弁当(おにぎり等)を持参ください。
※雨天決行
※スケジュールは当日変更になる場合があります。
※終了時間は変更になる場合があります。

集合場所120623_a.jpg
平和祈念公園
平和祈念堂(白)前にある時計の塔(右写真)
(地図はこのページの下にあります。)



交通アクセス>>>>>
※当日公園近辺は渋滞が予想されます。余裕を持っておこしください。
※当日、平和祈念公園には駐車できません。


<県庁から無料バスでお越しの場合>
県庁旧議会棟前より午前8時~午前10時にかけて、約10分おきに出発
平和祈念公園まで所要時間1時間
平和祈念公園から帰りのバスの最終発車時刻は、午後3時頃を予定

県庁HP→  http://www.pref.okinawa.jp/site/fukushi/engo/engo/event/zensenbotushatoushiki.html

<バスなど公共交通機関でお越しの場合>
平和祈念公園HP→ http://kouen.heiwa-irei-okinawa.jp/access.html

<平和祈念公園近隣の駐車場を利用する場合>
近隣には駐車場があり、シャトルバス(無料)で式典会場まで移動します。
※駐車場には限りがありますので、お早めのご来場をおすすめします。

・糸満観光農園
・旧ひめゆりパーク
・沖縄清明の丘公園

シャトルバスについて
・式典が始まるまで 約25分間隔
・式典が終わったら 約10分間隔



集合場所

大きな地図で見る

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レポート

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 2013年6月23日、沖縄は戦後68年目の慰霊の日を迎えた。この日の朝、私は琉球ニライ大学で開催される授業、「平和を考える一日〜沖縄全戦没者追悼式〜」に参加するため、摩文仁の丘に向かっていた。
 道の途中、車窓からは自衛隊の新鋭のレーダー施設、通称ガメラレーダーが見えた。弾道ミサイルなどを早期に発見するための最新設備である。昨年のこの時期、北朝鮮のロケット発射で日本中が大騒ぎしていたことを思い出した。私たちは今なお、安定した平和を手に入れていない。



130623_11.jpg 公園の中は、花が咲き、何匹もの蝶がせわしなく蜜を吸って回っていた。蝶は人の魂を運ぶという。この日、この地にふさわしいように思えた。



130623_23.jpg 授業は、敵・味方・国籍を問わず、沖縄戦に関連してなくなった人々の名を刻んだ平和の礎、沖縄戦開始直前に逃亡した前任者に代わり、沖縄県知事に赴任、殉職した島田知事と県職員を慰霊する島守の塔、国が建立し、国政関係者が式典の前に祈りをささげる国立戦没者墓苑、沖縄戦で一家全滅した約370世帯を慰霊するしづまたの碑、牛島陸軍司令が自殺した第32軍司令部壕およびその第32軍戦没者を慰霊する黎明の塔を巡り、全戦没者追悼式典に参加した。



130623_19.jpg 広い公園の中を、私は戦争当時の様子を想像しながら歩いた。

 沖縄では毎年、慰霊の日には梅雨が明けている。68年前も、今日のように刺すような日差しが照りつけていただろう。空と、海と、土地の起伏は今と変わらなかったはずだ。地上戦が始まってから3ヶ月弱。米軍から徒歩で逃げ続けて、ここまで来た。今は一面の緑に覆われているこの土地は、当時は絶え間ない爆撃によって荒野と化していたはずだ。

 暑い。帽子をかぶっているだけましだ。公園の坂を上っている私は、濡れタオルを首に掛けて暑さをしのいでいるが、井戸で水を汲むのも命がけの当時、こんな贅沢ができただろうか。海から吹きつける風は救いだが、乾いた赤土が舞い上がり、全身赤茶色に汚れてきってしまっただろう。

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 坂の先、視界が開けて海が広がっていた。眼下の浜から波の音が聞こえる。深い青色と、潮溜まりのエメラルドグリーン。遠く水平線はかすんで見える。美しいと思えるこの風景を、当時の人たちはどんな思いで眺めただろうか。もうこれ以上逃げる場所がない。ああ、あそこに洞窟らしきものが見える。隠れるか。いや、こんなところから見えるところなら、追いかけてきた米軍も、あそこに隠れていそうだと見当をつけるだろう。どこへ行けばいい。陸のほうはどこも銃声と砲撃で、包囲されている。
この海は、絶望を突きつける非常なものに映っただろう。私がそのときに生きていて、逃げ延びてここまできたら、そう思う。

 もう一度、目の前に広がる美しい風景から、地形をそのままに、緑を消して想像する。空は軍用機の排気で汚れていただろうか。海は一面敵の船で、重油で汚れていたりしたのだろうか。爆音が止めば、波の音がざわわと聞こえる。体はたまらないほど汗臭く、汚れて、あちこちかゆくて、のどが渇いて、おなかがすいて、疲れて足も痛かっただろう。そこらじゅうに死体があって、耳元をハエがぶんぶんうるさく飛び回っていただろう。壕の中は蒸し暑く、体中を蚊にさされ、ゆっくり眠ることもできなかっただろう。

 むき出しの腕が日に焼かれる痛みを覚えて、濡れタオルで両腕を冷やした。

 私たちはまだ、安定した平和を手に入れていない。黙祷の時間、平和祈念堂の鐘が静かに響いていた。

(ニラ大スタッフ:川満)

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